里親体験談
養育里親
「この子は縁組できません」 Tくんのお話をいただいたとき、児相の担当からそう言われたので、 「縁組できなくても18歳まで愛情いっぱいで育てよう。」 「生活費や習い事のお金が援助してもらえるのはやはり助かるな・・・」 「18歳になったらどうなるんだろ」 「自立のことを考えた子育てをしなきゃならないのかな」 などなど考えているうちに、乳幼児であるTくんとの生活は始まった。 養育里親が縁組した里親と決定的に違うのは、やっぱり籍が入っているかどうかということだ。 名字が違う、保険証が違う、パスポートが違うし海外に自由に行けない、実親の承諾が必要な場面がたくさんある、保育園の書類、卒園証書の名前、小学校入学の通知や書類上の名前、入院や手術の承諾書・・・・学校の校長にいただかなくてはならない、書類や印鑑・・・ それから、定期的に児相に様子を話したり、児相に行ったり、児相が来たり。これも普通の家庭とは異なるところであり、普段は「血がつながっていないこと」を意識して生活していないが、児相や里親会が絡むと「ああそうだ。里子だった」と改めて意識をする。こでも養育里親ならではだと思う。 自分が思う最大のデメリットは、やはり子供が不安定になるのでは?と感じてしまう。 子供が小さいうちはあまり表面に出てはこないが、年齢が上がると、自分の名字が異なることによる不安を感じるようになる。そして、周囲に知られたくないと思い、本当の家族になりたいと言い、更には実親に対して良くない感情を持ってしまうほどでもある。 なんとなく持て余してしまう、もやもやするような不安。ふわふわするような不安定さ。そして苛立ち。そんなものを抱えていることに、いつのまにか私も気が付いていた。この部分を克服するのは、おそらく高校生になって、自立を視野に入れるころではないかと思うが、それまでの数年間の過ごし方も大事なのではないかと思っている。 子供の不安定さは、可愛そうであり切なくもあり、私自身も身を切るような思いをしているのだが、縁組できないという事実はどうすることもできないため、「それ以外の部分で補うこと」をTくんに伝わるように、分かりやすく言葉や態度に出すことにしている。 私はTくんに、 私たちは血はつながってないよね。つながっているのは「絆」だけだね。 絆は「信頼関係」でつなげることができるんだよ。だからTくんのことをずっと信じていたいし、Tくんにずっと信じてほしいと思ってる。お互いに絆でずっとつながろうね。 と、常日頃話をしている。 思春期を迎えるころに彼の不安定さがどうなっていくのか心配はつきないが、寄り添うこと、向き合うことを忘れないでいきたい これが、養育里親が里子と家族になるということなんだと思う。頭で考えると難しいようで、でも心で感じれば単純なことのような気がしている
養子縁組里親
coming soon
専門里親
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三日里親
三日里親をしているMちゃん、初めて会った時は三歳の小柄な女の子でした。 初めて会った日、施設の職員さんと色々説明を受け、「では、連れてきますね」と言われた時の緊張を今も覚えています。 それからは一か月に1、2回交流を続け一緒にお出掛けはするものの、なかなか家にお泊りは出来なく、幼稚園、小学生の頃は何回かチャレンジをしては失敗を繰り返しました。今回こそは泊まる!と準備万端で家に来ても、夕食、お風呂まで入っていくが眠ることができない。お風呂まで入ればあとは寝るだけなのに。。。と毎回思いますが、生まれてからずっと施設で過ごし家庭で生活をしたことが無いMちゃんにとっては、よその家で寝るということは難しかったのかなと思いました。 最近はコロナの影響でなかなか会えませんが久し振りに会うとスマホを貸して欲しいと言い、ずっと一人でスマホを触っています。でもそんな時にポロっと日頃の不満や近況を教えてくれるのです。 そんな付き合いが続いて10年経ちました。5年後に18歳で施設を出なくてはならないこれからのMちゃんが心配です。
委託前のこと
「初対面まで」 里親登録をうけ、実習を終えて、すぐに二歳の男の子を二週間を2回、また別の二歳の男の子を二週間ほどお預かりしました。 初めての子育てに緊張しながらも、生活を共にすることで垣間見れるその子の生活に考えさせられることも多くありました。 思い通りならない振り回されっぱなしの日々を、周りの方たちの協力を得ながら、へとへとになりながらもなんとか終えた時は、「ほっとした」の一言です。 もっと子供の成長を知っていれば、もっとお互いに楽しい時間にできたかもと反省も多くありました。 頼りにし、甘えてくれる可愛さ、別れの際の寂しさ、とても中身の濃い時間でした。 その後、静かな我が家に戸惑っているころ電話がありました。 縁組できる二か月の女の子〇ちゃんの委託のお話でした。 一瞬息が止まり、胸がギュッとし、うれしさで涙があふれて、手が震えたのはこれが初めてでした。 朝から降ったりやんだりの雨がやみ、日差しが入り、咲き始めたアジサイに水滴がキラキラしていた光景が今も忘れられません。 縁組を望んでいましたが、期待しないよう、でもこの日をずっとずっと待っていたことに改めて気付いた瞬間でした。 返事は決まっていましたが、夫と共にまずよろこびたく、翌日に改めて快諾しました。 他管轄の案件を逸早く手を挙げ我が家につないでくれたため、二つの児童相談所のスケジュールの都合もあり、初対面まで一か月かかることになりました。 本当に一日千秋の思いでした。 ベビーグッズを準備したり、家中掃除をしたり、ごく身近な先輩里親さんにマッチングの様子を聞いたりしました。 星座は何かな?、字画はどうかな?、我が子になった場合はどうかな?、ローマ字で書くとどんな雰囲気かな?などなど、まだ見ぬ子に想いを馳せる時間でした。 いよいよ初対面というころには、わくわくしつつも落ち着いていました。 天使のような・・・とは思いませんでしたが、初めて抱っこしたときは、なんだか照れ臭く、とても小さくふわふわと壊れてしまいそうな愛おしい、大事な大事な贈り物をいただいたような特別な気持ちでした。 その子も今や6歳。妹と弟もできて、元気に小学校に通っています。 待つ時間というのは、焦りや不安を掻き立てられることも多くありますが、待つ時間が長いほど出会えたその子にその分愛情を注ぐことができるとも感じます。 その後の長い子育てに向け、心も体も整える時間は、その後のハードな子育てに立ち向かうにとても大事だと思います。 これからの新しい出会いと生活にわくわくした気持ちで待つことができるといいなと思います。 家庭的養護を推進していくのであれば、長く未委託で気持ちがなえるということがないように、これからも、児童相談所管轄の垣根を越えて柔軟に対応していただけるといいなと思います。 今、里親の方も、これから里親になろうという方にも、またそれを必要としている子供たちにも良い出会いがありますように。
マッチング
マッチング体験談 里親認定を受けてから約一年。「子どもの委託はタイミング」とは聞いていたけれど、やっぱりすぐには来ないんだなぁと実感し、旅行でも行こうかと計画をし始めた矢先、当時二歳目前だったAちゃんのお話を頂きました。 ●マッチングまでの流れ 1.児相から連絡をもらう。 2.児相にAちゃんの詳細を聞きに行く。 3.ベビーホームにAちゃんへ面会に行くAちゃんの担当職員さんより、改めて生活面での詳細を聞く 4.ベビーホームにて、Aちゃんの生活時間に合わせて、施設内での散歩や食事等の行動をAちゃんと共にして親交を深めていく。(職員同行) 5.里親とAちゃんだけで、施設外へ散歩などに半日出掛ける。食事やおやつは施設でとる。 6.里親とAちゃんだけで、一日外出をする 7.里親宅に職員と共に見学に来る。 8.里親宅にAちゃんが日帰りで訪問する(二回) 9.里親宅に宿泊する。 10.委託 以上のことが、我が家の場合は5カ月間かかりました。 ベビーホームへは週2~3回、平日は私が、週末に夫婦で面会に行っていました。 ~マッチングあるある~ ・毎回の面会で顔を見るなり大泣きされる。 ・目が合うと反対方向の部屋の隅に逃げる。 ・里親の帰りを見送る時は、職員に抱っこされて、満面スマイルでバイバイされる。 ・職員が「お母さんにしてもらったら?」と振ってくれるも断固拒否。 ・里父母のプレゼントしたものを、これみよがしに雑に扱われる。 ・ベビーホームの他の子ども達は仲良く酔って来てくれるが、肝心な我が子として迎える子は決して近づいてこない。 こんな聞くも涙、語るも涙な出来事のあるマッチングですが、焦らずに時間かかかることを覚悟して面会を続けていくと、 ~♡今でも覚えてるマッチング中の喜び♡~ ♡食事の準備を一緒にすることが出来た! ♡外から帰った時に、一緒に手を洗えた! ♡お風呂上りのドライヤーをさせてくれた! こんな小さな小さな手応えを時々感じることが出来ます。それだけで大喜び出来ちゃいます。 Aちゃんは、マッチングの間、発語も無し、笑顔もなし、の反応の分かりづらい子でしたので、Aちゃんが大好きだよ、今日も会えて嬉しかったよ。そう伝え続けることしか出来なかった。少しでも私の存在が当たり前のようになってくれますように、と面会に通い続けることしか出来なかったけれど、Aちゃんにちゃんと伝わっていたようで、家に泊まりに来た時に、笑顔を初めて見せてくれました。 涙するほどにその笑顔に喜びを感じました。ずっと、「大丈夫、大丈夫」と自分に呪文をかけ続けてきたけれど、本当に大丈夫そうだと、マッチング最終段階にてようやく感じることが出来ました。 今だから解りますが、ベビーホームで暮らす子ども達にとって、自分に里親が来た、ということは、未知の場所に連れていかれるのだと察知しているんですよね。子どもながらに一生懸命に抗って、この縁談を壊してやろうと必死です。そんな子どもと関係性を作ろうというのですからマッチングは大変さの連続です。だけど小さな子どもが体の中でそんな葛藤をしているのかと考えると、それだけでもう愛おしく思います。 我が家にきたAちゃんは、うるさいほどにお喋りをし、活発な子になりました。毎日見ているのに、寝姿を見ては大きくなったもんだとしみじみしちゃいます。勿論、派手に喧嘩をすることもあります。そんな時、いつも思い返すのは初めて見たAちゃんの笑顔や笑い声、その時感じた私の幸福感です。マッチングの頃に待ちわびて獲得した子どもの笑顔は、後に最強な癒しと慰めになります。これからマッチングを始める皆さんにも、最強な笑顔の獲得を応援しています!
特別養子縁組
Yちゃんが私たち夫婦と暮らし始めたのは5歳の時でした。 私たち夫婦の苗字で幼稚園・小学校へと通い始め、本当の家族のように暮らしているうちに、一緒に暮らす時間が長くなっていくうちに、楽しく大切な思い出はどんどん増えていき、Yちゃんがいる生活があたりまえの日常になっていきました。 やがてYちゃんは12歳になり小学校卒業もまじかになりました。「ねえ、私はいつになったらこの家の本当の子どもになれるの?」と突然聞いてきました。「私は、この家の子どもになれないの?」「卒業証書の名前はどうなるの?」Yちゃんは、いつまでこの家にいられるのか?いつか別のところへ行かなければならなくなってしまうのではないか?と不安に感じていたのです。「大丈夫、ずっとここにいていいんだよ。高校も大学もここから通って、大人になってもYちゃんがここにいたかったずっと一緒にいようね。大人になったら絶対に養子縁組しよう。」そんな風に話をしました。 ところが、Yちゃんが13歳になった年の春に児童相談所から「実母さんから承諾が得らました。特別養子縁組の手続きを始めましょう。」と突然電話がありました。驚きました。Yちゃんの実母さんからの同意は得られないものだと思っていたのですから。学校から帰ってきたYちゃんに“児童相談所からの電話のこと”実母さんに承諾してもらえたこと”そして“特別養子縁組がどのような制度なのか”などなど、たくさんお話をしました。Yちゃんは真剣にお話を聞いた後に「その手続きはいつ頃できるの?」と嬉しそうに聞いてきました。 この年は、コロナ禍もあり手続きに時間がかかりすべての手続きが終わるまで1年近くかかりました。手続きを始める前に、夫婦でよく話し合って「Yちゃんにとってそれが一番であるなら、迷わず手続きしよう。」と決めましたが、実は私たち夫婦はYちゃんと同じ年頃の子どもの親に比べると10歳くらい年齢が上になります。Yちゃんが大人になって独り立ちできるようになるまでに後何年くらいかかるかしら?それまで健康でいられるかしら?と急に考え込んで不安になったりもしました。慌てて運動の習慣をつけてみたり、今まで以上に食べ物を気にしたり。規則正しい生活を心がけるようになりました。 さまざまな手続きがありました。Yちゃんも家庭裁判所の調査官との面接にドキドキしながらのぞみました。「どんなこと聞かれるの?」「どんなお話をしたらいいの?」と。面接は、面接官とYちゃんと二人きりで行われ、私は別室で心配しながら待っていましが、面接後Yちゃんはニコニコしながら戻ってきました。「どんなお話をしたの?」と聞くと、「特別養子縁組について説明してくれたよ。」「自分の気持ちや、普段の生活のこと聞かれたよ。」「とってもやさしくお話してくれたから大丈夫だった。」と話してくれました。 市役所での特別養子縁組の戸籍届の手続きは主人と二人で行ってきました。窓口の方に「おめでとうございます。」と声を掛けていただいたのが嬉しかったです。数日後に、Yちゃんが一緒に記載された戸籍謄本と住民票をいただいたときには「早くYちゃんに見せたい。」と、学校から帰ってくるのが楽しみでした。これを見たらどんな顔するかしら?主人とふたり嬉しそうなYちゃんの顔が見たくて、夕食のときに差し出すと・・・「ふ~ん。」と、案外あっけない反応。「え?なんかさ、もっと、嬉しそーな顔してよ。」と言いましたが、「だって、戸籍謄本なんて見たことないし。特に何も。」ですって。そう言われれば、そうかもしれない。そうかもしれないけれど、それでも戸籍と住民票のYちゃんの名前が嬉しくて嬉しくてその夜はずっと眺めていました。 その後も普段の生活は特に変わるでもなく、でもなんとなく今まで以上に遠慮なくものを言うようになったような。なんとなく“もやっ”としていたものが晴れたような。大きな安心感を感じるようになりました。
緊急の委託
児相からの一本の電話で子どもがやってきます。 切迫早産の入院、産後自死、不法滞在で入管収容、父子家庭の出張、育児放棄、育児困難……様々な家庭の事情があります。 文字通り「着の身着のまま」の子。おむつやおしりふきは大きな段ボールごと、チャイルドシートにベビーカーまで用意するなど親の対応もまた多様で、その時々の家庭状況とひっ迫度をひしひしと感じ取ることができます。 緊急一時保護は短い期間なので、人間関係を作れた頃には手を離れてしまうことが多いですが、その間は「たっぷり食べる、たくさん遊ぶ、ゆっくり寝る、そしてたくさん話しかける」をモットーに子どもと過ごしています。 その生活の中で、親と離れた不安で心開かずにいた子が、素敵な可愛い笑顔と子どもらしい動きを見せてくれるようになったときはホッとします。 親にも、子にとってもレスパイト先としての里親は、その先の「普通の生活」を続けるために必要な最良の場所だと思っています。
研修の日々
里親になって10年が過ぎましたが、様々な研修がありました。 10年前と今とでは回数や内容が異なるようですが、今も昔も研修の内容は「座学」と「実習」から成ります。 私の中で印象に残っている「実習」は、断然「乳児院での実習」です。 心から望んでいた、心の奥底からぜひやってみたかった、あの「赤ちゃんのお世話」というヤツを、実習という名で体験させてもらったのですから。 右も左も、赤ちゃんだらけです。小さくて、やわらかくて、熱くて、みずみずしくて、モチモチして、ぷにぷにして、生命力に溢れている、赤ちゃんだらけ。抱っこして、トントンして、おむつを替えて、沐浴して、お庭で軽くお散歩して。無我夢中の夢の様な時間でした。 その後乳幼児が委託されたので、乳児院実習はとても役立ちましたが、あの時間はやっぱり忘れられない体験で、出産をすることができなかった自分にとっては、その後ママ友との交流にも役立つ、本当に大事な研修となりました。 「座学」で印象的だった研修は、「愛着」や「試し行動」についてです。乳幼児期に特定の大人とのかかわりが如何に大事であるか、を学んだときは、「社会的養護が必要な子供を 何としてでも救いたい」、という強い何か使命感のような気持ちを持ったことを思い出します。 里親に認定される前や認定された後は、夫婦ともに様々な研修を体験しますが、それは、社会的養護が必要な子供たちと向き合ってきた色々な立場の所謂専門家が、きっと必要だ、これを分かってほしい、と考えて挙げた内容だと思います。ですので、学ぶ内容をよく考え、里親としてどのようなことが求められているのかを理解し、数少ない研修の機会を大いに楽しんでいただきたいと思います。 里親になったらなったで、5年毎に「更新研修」もあります。 里親は、ずっと学んでいく必要があるのだと思っています。
未委託
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複数委託
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里親になるには
最初に児相に連絡 (電話で面談を予約したり、直接行ったり) 児相で面談 (里親担当と、里親について話をします) 児童養護施設を見学 (面談の際に、児童養護施設の見学を進められました) <夫婦、親族で相談> 里親になることを決める 児相へ申込み (里親になることを決めた後、児相へ連絡をして 里親になるための申し込みをする) 研修開始 (里親認定前研修 座学、施設など) 登録 乳児院研修 (認定後研修) 2022年現在